新元号とともに注目されているのが菅官房長官です。
そこで菅官房長官はどんな経歴なのかまとめてみました。
また、出身は秋田県なのに菅官房長官の経歴と検索すると横浜と出てくる理由についても解説したいと思います。
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菅官房長官のプロフィール
名前: 菅 義偉 (すが よしいで) 職業: 内閣官房長官・衆議院議員 血液型: O型 生年月日: 1948年 12月 6日 |
菅官房長官の家族構成は、奥さんと息子さん3人の5人家族でマンションに住まわれています。
甘いものや麺類が好物で、アルコールは全く駄目だそうです。
政治家と言えばお酒の席が多いというイメージですが、アルコールを受け付けないということはいつも断っているんですね。
官房長官となれば無理に飲まなくても良いでしょうが、若い頃はお酒の付き合いに苦労されたのではないでしょうか。
また、甘い物や麺類が好きでもお酒を飲まないから太っておられないのでしょうね。
学生時代は空手をされており、趣味は渓流釣りとウォーキングだそうでアウトドア派のようです。
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菅官房長官は政治家の秘書だった
菅官房長官は政治の世界に入る前までは民間企業のサラリーマンとして働いていました。
しかし、
「世の中を動かしているのは政治であり、人生をかけてみたい」
と思い政治の道に進んだそうです。
しかし、全くツテが無かったため母校である法政大学の学生課に駆け込んだようです。
そこで国会議員事務所を紹介され、法政大学のOBである小此木彦三郎元通産大臣の秘書を11年勤めました。
菅官房長官の政治家としての道は秘書から始まったようですね。
政治家の秘書は仕事内容が過酷だと言われることもあり、平均3〜5年しか続かないという統計も出ています。
そんな激務を11年も続けた菅官房長官は本気で政治の道で生きることを決意していたのでしょう。
菅官房長官が横浜市会議員に当選
菅官房長官は秘書を11年勤めた後、子供3人がまだ幼く政治家としての地盤や実績、看板など何も無い中、周囲の反対を押し切って横浜市西区から市会議員に立候補しました。
また、現職は自民党の有力議員だったため無謀な挑戦だと思われました。
しかし、菅官房長官は諦めず1日300軒歩き回ったそうです。
その努力の甲斐あって、奇跡と呼ばれる当選を果たしました。
横浜市会議員として2期務め、自民党のエースとして貢献したそうです。
菅官房長官の経歴に横浜と出てくる要因は、横浜市会議員だったという過去からだと思われます。
それにしても、子供がまだ幼く何の実績もなく、ライバルも強敵という状況でよく立候補されましたよね。
それも、本当に政治家として貢献したいという強い気持ちからなのでしょう。
菅官房長官が影の横浜市長と呼ばれた理由
菅官房長官は、横浜市会議員となり活動していましたがその中で影の横浜市長と呼ばれるようになりました。
いち市会議員がなぜそのように呼ばれるようになったのでしょうか。
その理由は、
菅官房長官が秘書として支えていた元通商大臣の小此木彦三郎が横浜市政に大きな影響力を持っていた |
ということが要因のようです。
小此木の死後、菅官房長官は当選2回にも関わらず事実上の代役として大きく貢献してきました。
秘書時代に培った人脈を最大限に活かし様々な案件をこなしたり、当時の市長から人事案の相談を受けたりなど第一線で活躍してきました。
菅官房長官の経歴を検索して、「横浜」と出てくる理由は、縁の下の力持ちとして横浜に尽力したという実績も関係しているのかもしれません。
菅官房長官に関する記事はこちら→菅官房長官の出身は秋田県!ダンボール工場で働いていた!生い立ちを調査
菅義偉の学歴を調査!官房長官になれた理由は?有能な政治家だった
まとめ
菅官房長官の経歴は、サラリーマンから政治家の秘書、そして市会議員ということでとても異質なキャリアだとわかりました。
しかし、無謀だと思われることに挑戦する姿から、真っ直ぐでひた向きな努力家な人柄が垣間見れました。
菅官房長官の経歴を検索すると横浜というワードが出てくる理由は、
・横浜市会議員だったこと
・影の横浜市長と呼ばれるほどのすご腕議員だったこと
が挙げられます。
最後までお読み頂きありがとうございました!
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