新元号「令和」を発表した菅義偉官房長官は一躍、時の人となりました。

今後元号が変わる際には「平成」を発表した小渕恵三氏のように映像や写真が繰り返し使用され長く国民の印象に残ることでしょう。

そんな菅官房長官の生い立ちが気になったので調査しました。

 

 

菅官房長官は秋田県出身で実家は農家!

菅官房長官は、秋田県の雄勝郡雄勝町・現在の湯沢市秋ノ宮出身で秋田杉に囲まれた自然の中で育ったそうです。

農家の長男として生まれ姉2人、弟1人の4人兄弟の中で育ちました。

実家は中央部国道沿いにあったそうで、いちごの生産に力を入れていました。

出身小学校:雄勝町立秋ノ宮小学校(現在:湯沢市立雄勝小学校)

出身中学校:雄勝町立秋ノ宮中学校(現在:湯沢市立雄勝中学校)

出身高校: 秋田県立湯沢高等学校

農家の手伝いをしながら、2時間かけて高校へ通っていたそうです。

通学に2時間とは驚きですね。

また、長男として実家の手伝いをしていたところから真面目さが伝わってきます。

菅官房長官は集団就職でダンボール工場に就職

高校卒業後は、父に農業大学校への進学を進められるもそれを断り、東京へ集団就職しダンボール工場で働いていました。

菅官房長官は父に「家を継げ」と言われていたそうです。

しかし、菅官房長官自身はそれが嫌で半ば夜逃げ同然で上京したため父との溝ができてしまいました。

家を継ぐことなく集団就職した理由について、

自分の力を試してみたいと思った

と言われています。

しかし、父との確執ができたまま上京したため仕送りも無く、やりたいことも無かったためダンボール工場で住み込みで働いていたそうです。

高校卒業後に就職したということは、当然お金も貯金も無いですからそのうえ仕送りが無いということはとても苦労されたのではないでしょか。

しかしその苦労を承知の上で上京したわけですから東京で何かやりたいという大きな希望が原動力だったと思われます。

このままでは駄目だと大学へ進学

集団就職したのは良いものの将来の展望が見出せずに悩んだ末に大学進学を決断しました。

入学金を貯めるために、築地市場の台車運びのアルバイトなどをしながら帰宅すると試験勉強という日々を2年間続けたそうです。

上京から2年、お金を貯めて私大でもっとも安い法政大学に進みました。

そして大学卒業後は、民間の建電設備会社へ就職しました。

しかし、政治の世界に関心を持ち政治家として働きたいと考えるようになり政治の道に進んだそうです。

法政大学へ進学し、そのまま政治家を志すかと思いきや、まさかの民間に就職したのは驚きです。

ですが、最終的には自分は政治の道しかないとやりたいことを見つけて今の菅官房長官があるようですね。

 

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まとめ

菅官房長官は、秋田県でいちご農家の長男として生まれたことが分かりました。

また、父への反発から家を出てダンボール工場へ就職するも大学へ進みその後民間に就職という意外な過去も分かりました。

苦労することがわかっていても自分の意志を曲げずに進むところを見ると真面目で実直な人柄だと伝わってきました。

最後までお読み頂きありがとうございました!