菅官房長官は、新元号「令和」の発表を任され一躍世間の注目を浴びました。
官房長官とは安倍首相を一番近くで支える仕事でとても重要な職責です。
そんな菅義偉(すが よしいで)氏は、なぜ官房長官になることができたのでしょうか。
そこで家柄や学歴を探ってみました。
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菅官房長官のキャリアが飛び級並みにズゴい
まずは、菅官房長官の経歴を簡単に紹介します。
・秋田県の農家の長男として生まれる ・高校卒業後、集団就職で上京しダンボール工場へ就職 ・上京から2年後に法政大学へ入学 ・大学卒業後、民間企業の建電設備会社へ就職 ・民間企業を退職し、議員秘書になる ・横浜市議会議員になる ・衆議院議員になる ・官房長官になる |
菅官房長官は、このような経緯を経て官房長官になりました。
キャリアが一気に上がっていてびっくりしますよね。
しかし、家柄も一般家庭と変わらず政治界に大きなパイプがあったわけでもありません。
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菅官房長官の学歴は?
菅官房長官の学歴は飛び抜けてすごいわけではありません。
出身高校: 秋田県立湯沢高等学校 出身大学: 法政大学 |
最終学歴は大卒ですがOBの政治家には議員や市長などがほとんどです。
学歴だけ見ると、官房長官になることができた要因は見つかりませんでした。
また、弁護士や税理士などの国家資格も無い中、なぜ官房長官にまで上り詰めたのでしょうか。
菅義偉が官房長官になれたのは有能だったから?
菅官房長官は、小泉政権の時に総務副大臣に就任しました。
その時、1年間に19の法律をつくり実力派大臣として頭角を表し、周囲から一目置かれる存在になりました。
・ふるさと納税 ・NHK改革 ・夕張問題 ・地方分権改革法案の成立 ・郵政民営化の実施 など |
安倍首相と菅官房長官は同じ小泉塾の門下生でした。
第一線として活躍する姿が当時の安倍首相の目にも入っていた為、実力が買われて官房長官に任命されたのだと思われます。
また、菅官房長官の実力や有能さは、国政に入る前の横浜市会議員の時から頭角を表しています。
参考記事はこちら→菅官房長官の経歴を調査!影の横浜市長と呼ばれた理由は?
菅義偉が官房長官になれたのは人柄が良いから?
安倍首相は菅官房長官より6才年下ですが、総務執務室に入るときは必ず「失礼します」と言って入るのだそうです。
また、安倍首相は親しみを込めて「すがちゃん」と呼ぶのに対し、菅官房長官は「総理」と呼ぶそうで決して主従関係を崩さないようです。
また、菅官房長官の支援者によると菅官房長官は、
「若い頃から将来は幹事長か官房長官になりたい」
と語っていたそうです。
そして菅官房長官は、豊臣秀吉に仕え、ナンバー2に徹した弟である豊富秀永の生き方を参考にしているのだそうです。
首相のポストを狙う野心が無く、ナンバー2に徹する姿勢や忠誠心が信頼関係を生み、官房長官に任命されたのでしょう。
関連記事はこちら
・菅官房長官の出身は秋田県!ダンボール工場で働いていた!生い立ちを調査
まとめ
菅官房長官の学歴は一般的でずば抜けてすごいわけではありません。
しかし、忠誠心や誠実さという人柄や政治を動かす実力が買われて官房長官という地位にいることがわかりました。
最後までお読み頂きありがとうございました!
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