関西電力の幹部らが3億2,000万円もの金品を受領していたことが分かり問題になっています。
そして関西電力に金品を渡していたのは高浜町の元助役である森山栄治さんという方だそうです。
そこで今回は、元助役の森山栄治さんとはどんな人物なのか調査しました。
すると経歴などが凄いことが分かりました。
また、家族についての情報も調査しました。
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森山栄治が務めた助役とは?
助役という言葉にあまり馴染みが無い気がしますが一体どういう役職なのでしょうか。
調査したところ、主役をサポートするポジションのことを指すようです。
公的な仕事で言う助役は、市町村長をサポートする吏員(りいん)で地方公務員なんだとか。
地方公務員の中でも助役とは権力のある特別な職だそうです。
一方で、2007年には助役という職は廃止されています。
助役は最上級の吏員で地位も高かったようですが、やはりトップはその土地の長です。
しかし、当時は長と助役の森山氏、どちらがトップか分からないほど森山氏の権力が強かったのだそう。
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森山栄治のプロフィール
・名前: 森山 栄治 (もりやま えいじ) ・生年月日: 1928年 10月 15日 ・忌日: 2019年 3月 ・出身地: 福井県大飯郡高浜町 ・居住地: 京都市 |
森山栄治さんは今年2019年の3月に90才という年齢でお亡くなりになられています。
出身は福井県ですが1949年に京都府庁に奉職されていたため、京都市にお住まいになられていたようです。
そのため、関西電力とも関わりがあったんですね。
森山栄治さんは関西電力に大きな影響力を持つ人物だったようです。
森山栄治の経歴
今回は森山栄治さんの経歴についてまとめてみました。
こちらをご覧ください。
・1949年 京都府庁 入庁 ・?年 福井県大飯郡 高浜町役場 勤務 (高浜町役場時代の役職) ・民生課長 ・総括課長 ・企画課長 ・収入役 ・助役 (高浜町役場時代の受賞歴) ・1973年 自治功労賞 受賞 ・1975年 社会教育功労賞 受賞 ・1976年 地方自治の振興と地域社会の発展功労表彰 受賞 ・1985年 科学技術長官賞 受賞
・1987年 高浜町役場 退職 関電プラント 非常勤顧問 就任 ・1996年 法務省人権擁護局長感謝賞 受賞 ・2003年 瑞宝双光章(日本の勲章の一つ) 受賞 ・2005年 高浜町町政功労者表彰 受賞 |
森山栄治さんは、高浜町役場時代に数々の賞も受賞しているようですね。
高浜町役場で当時同僚だった人物によると、森山栄治さんは真面目で厳しい人だったと語っています。
高浜町役場を退職後は、
・地元の建設会社の顧問、副社長
・高浜町都市計画審議会委員
・高浜町教育委員長
などを務められています。
森山栄治の学歴
森山栄治さんの出身高校や大学などを調査しましたが、残念ながら公表されていませんでした。
考えられるのは、小中学校までは地元の福井県。
その後、高校や大学へは行かれていないのでは?と予想します。
というのも、森山さんが
・9才の時 日中戦争が始まる
・13才の時 国民学校令が発足 第二次世界大戦が始まる |
日本や世界の情勢はまだ戦争が終わっていないという時期でした。
森山さんが28才の時に戦後日本における復興の一定の成果が出ています。
このような社会情勢だったため、進学するというより働きにでるという人の方が多かったのではないでしょうか。
森山栄治は結婚して家族がいたの?
森山栄治さんに家族がいたのか気になりますよね。
調査したところ、一般人なのでやはり情報は公表されていませんでした。
しかし森山さんが女性は結婚して家に入るということが一般的とされていた時代ですのでおそらく結婚されてお子さんもいらっしゃったのではないかと思われます。
お子さんやお嫁さんがいらっしゃったとすると、莫大な遺産やお金などは受け継がれていくのでしょうね。
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森山栄治はなぜお金持ちだった?
関西戦力に多額の金品を渡していたことが問題になっていますが、なぜあれほどまでにお金を持っていたのでしょうか。
高浜町役場時代は、助役という大きな権力を持つ役職に就いていたのでそれなりにお給料も高かったのでしょう。
当時も町のトップと助役の森山さんのどちらが上か分からないほどだったようなので町長と同じくらいの給与をもらっていたのかもしれません。
そこまでは何となく分かりますがなぜ退職後もお金がたくさんあったのでしょうか。
高浜町役場を退職後は、
・高浜原発の警備会社の筆頭大株主 ・高浜原発のメンテナンス会社の相談役 |
を務めていたそうです。
その他にも、経歴の部分で触れているように地元建設会社の顧問や副社長など多方面で様々な役職につかれていたので報酬も半端なかったのでしょう。
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